二児の父の育休日記

人生二度目の育休はじめました。

寂しさを受け入れるということ

▲入浴後、ヘアブラシを手に、敷く前の布団の上で寝落ちする娘

娘、3年ぶりにおっぱいを飲む

息子が生まれたころから「お母さんのおっぱい飲んでみたい!」と言っていた娘。先日、ついにその願いが叶いました。

娘も混合育児でしたが、合理的な彼女は、飲むのが大変なおっぱいではなく飲みやすい哺乳瓶が大好き。卒乳もとてもすんなりで、1歳の4月に保育園へ行き始め、5月の連休にはおっぱいを吸うことを忘れていました。
それほどおっぱいに執着がなかった娘は、自分もおっぱいを吸っていたとは覚えているはずがなく、「飲んでみたい」という発言につながります。
おっぱいを離そうとしない息子とは本当に真逆。

娘の希望は母乳を飲みたいのではなく、あくまで「おっぱいを飲む」だったので、妻がタイミングをみて娘に吸わせてみます。
最初は「恥ずかしい…」とモジモジしていましたが、意を決して一口。
しばらくくわえ、感想は……「あまーい!」「牛乳みたい。もっと飲みたすぎる!」
僕も妻も「おいしくなーい(僕の作ったプリンを食べたときのような無慈悲なテンション)」みたいな感想だと思っていたので、とても意外な反応で、思わず笑ってしまいました。
他においしいものを知っていても、子どもにはおいしく感じるものなのでしょうか。

鼻くそ事件

テレビを見ながら鼻くそを食べていた娘を妻が注意。「なんでそんなことするの?」と妻に理由を問われた娘は、いつものように「わからない」「おぼえてない」と言い、さらに妻をいらつかせています。(妻は理由を答えるまで決して許してくれません。それは僕に対しても同じです…)
しばらくそんなやり取りが続き、「で、なんで食べちゃったの?」と僕が介入すると、「…さみしかったから」と一言。そして僕のところにきて大泣きでした。

昔から娘は寂しかったり緊張していたりすると手を口に運ぶところがあり、親からするとバロメーターでもあるのですが、それを娘が自分で言葉にするのは初めて見ました。
そして、そういえば、息子が生まれてから娘が「寂しい」と言うのは初めてだった、と気づかざれました。
こちらも余裕がなく、うまく甘えさせられていないと感じてはいましたが、娘に言わせてしまったことは反省。娘も娘で、それが「寂しい」なのだと理解し、言葉にしているところに成長を感じます。
娘には、「寂しいときは鼻くそ食べないで、寂しいって言ってね」と伝えておきました。

困ったときはとりあえずEテレ

それからというもの、こちらが手を離せないタイミングに限って「さみしい」と言いに来る娘。そりゃそうだよね、だから寂しいんだよね…
「○○が終わったら遊ぼうね」と約束しても、そのタイミングで息子が泣けば約束は後回しにされる。娘としては辛いものがあると思います。
まぁ、寂しいと言いながら、面白そうにがっつりテレビを見ている姿にイラッとしたりもするのですが。

妻が言っていて良いなと思ったのは、手が離せないときにでもできる関わりを提案し、「どうすれば寂しくないか、一緒に考えよう」という声かけ。やっぱり、構ってもらえているという感覚が大切なのだと思うので、手は止めずとも、気持ちを娘の方を向けることが必要なのだと感じました。
まぁ、妻がそう声かけしたとき、娘は「寂しいのをガマンしてテレビを見る」を選んで、さらに妻をいらつかせていたのですが。

結論、テレビはすごい。NHK様々です。

とりあえず僕は、家事中に巻き込まれる娘のごっこ遊びにもうちょっと付き合ってあげようと思いました。
保育園ごっこでは、娘が保育園(台所)にいる先生(僕)に子ども(パンダのぬいぐるみ)をエンドレスで送迎しにくるのですが、普段の保育園送迎時の様子を完コピ。
ついつい僕は、「体調お変わりないですかーいってらっしゃーい(棒読み)」と、やる気のないあの先生を完コピしてしまいます。
今度は娘の大好きなあの先生のように、満点の笑顔と園児ファーストの対応で出迎えてあげるから。覚悟しておけよ、パンダちゃん。


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